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2010年10月28日木曜日

・差別論


差別の定義を
「オマエのモノを、オレ達ワタシ達が使えないのは、いわれのない、不当な扱い。」と仮定するとして、

差別の撤廃を
「要求する側、奪う側が考える正当な立場や要求の実現。」と仮定してみる。

「オマエのモノは、オレのモノ。
 オレのモノは、オレのモノ、またはオレのモノはとくにない。
 だから、オレ達によこせ。それをオレ達が判断して、決める。」

「オマエと、オレ達ワタシ達は同じだ、
 だから、意見が分かれたら、最終的に、オレ達とワタシ達が決める。」

「それが、正当で平等ってモンだ。」

「誰にとって、正当か不当か。誰がそれを決めるのか、
基準があるとしたら、その基準は誰が決めるのか。」
「要求する側と、要求される側。」
「奪う側と、奪われる側。」
「所有者と要求者。」

という立場の違い。

「みんなで決める。」という論理破綻と矛盾。
「みんな」の範囲。

要求内容は、

同じ、
権利、立場、警察権、主権、裁判権、統治権、所有権、
情報、富、収入、財産、社会、学校、教育
力、能力、容姿、遺伝子、交際婚姻、
雇用、領域、資源、ツール、等。

「オレやワタシとオマエは、同じだ。」
だから、
「オマエ達のモノが欲しい。」
「オレにワタシに、オマエ達のモノを一部もしくは全部よこせ。」

「自由だ、平等だ、独立だ。」

まず、この要求内容が論理矛盾している。

はっきり言っておくが、

もともと違うから、
相手が優れると思うから、
相手が魅力的だから、
相手から、学び、真似をし、希望し、要求し、たかり、パクリ、盗み、利用するのだろう。
子孫を残すことを要求するのだろう。

生き物が、みな同じ、というのは、論理矛盾している。
同じ立場を主張しつつ、相手のモノを要求している。
要求しているくせに、第三者的立場や客観的立場や裁定者を主張したりする。

そのくせ、相手に対して、強制力を行使しようとする。
そのこと自体も、論理破綻している。

相手のモノは相手のモノだろう。


イデオロギーや理念にかこつけて、
ゆすったり、たかったり、強奪するのは、極めて悪い。

以上