ヒトにおける白人について。
見た目、容姿、というのは、好みの問題であるけれども。
気質、能力、資質、歴史、文化、経歴、とか、いろいろな面で、非白人とは、異なる。
ローマ帝国もそうだ。
テクノロジー、エナジー、うんぬん以前から、そうだ。
産業革命以前は、動力を使っていたわけではない。
エナジーとテクノロジーがあれば、白人と同じようになれる、というのは、理論論理上、現実上も、完全に、間違いだ。
質が悪い集団に使わせると、より、状況が、悪化するだけだ。
同じ人種、亜種、民族、国家でも、ヒトによって違うだろう。
説明するのも、問題だ。ヒトは、真似をするから。
非白人の努力、というのは、白人を見て、相対比較競争をして、相対比較優位、差異を、演技演出しているだけだ。
白人、といっても、いろいろ居るけれども。非白人も、いろいろ、居るだろう。
白人も、どっちにせよ、カマトトだろうけれども。
ヒトについては、ヒトを対象として、隔離して、飼育するか、殺すしかない。
上昇志向意欲、覇権意欲、学習向上意欲、独立主権意欲、戦闘意欲、犯罪意欲、倒錯性質、だまし、欺きを正当化美化する気質、行動履歴、歴史、を持っているから。
飼育方法は、飼い主による。
自然保護区みたいなところで、放逐するか、
牧場で囲うか、城郭の中で飼うか、庭で飼うか、同じ家で一緒に暮らすか、同じ食事をとるか、
はたまた、食用にするか、奴隷にするか、ペットにするか、なんらかの仕事や役割を与えるか、
観賞用にするか、労働力にするか、
いろいろではないか、と、思う。
以上