私にできて、ヒトにできないことは、たくさんあるけれど、
ヒトにできて、私にできないことは、ない。
移動速度や到達距離、記憶量、演算速度、思考能力、を含めて。
ヒトが使うことのできるツールは、私も使うことができる。武器や、移動機械を含めて。
できないこと、わからないこと、知らないこと、があるということは、ヒトから攻撃を受けた、ということだ。
当然、ヒトにやってもらうし、やらせる。面倒だけれども。本来は、自分でやったほうが、早い。
ヒトはあまり要らない、フン、ハン、ニグロは、まったく要らない、というのは、単純労働力を必要としていないからだ。
フン、ハン、ニグロ、チンピラ、ヤクザ、のなれの果て、というのは、自然界の公害だ。
公害をばら撒いていることが、問題だ。
牛や鳥の糞だと畑の肥やしにもなるが、フンハンニグロチンピラヤクザのなれの果てだと、土壌がくさくなりそうだ。
開発能力は私にもあるよ。今はないけれど。ヒトの開発は、全部我々の真似だ。
そんなわけで、私のやりたくないこと、危険なこと、面倒なこと、単純肉体労働は、全部、ヒト、とくにタロス、にやってもらうことにした。
私の記憶を破壊することができると言うことは、ヒトの記憶を破壊することも可能だ。
ヒトのしつけと、調教、訓練は、可能だ。
ヒトには、意思があるから。
ヒトを使うか否かというのは、好き嫌いもあるし、私の仕事ではないのだけれども。
私に近づけるヒトには、しつけと、調教と、訓練と処罰が必要だ。
そもそも、ヒトを、要らない、と言ってしまえば、それまでだけれど。
タロスを含めて、そうだ。
昆虫とは違う。
意思と野望と欲望と、悪意と、犯罪の、歴史と実績があるから。
犬やネコとは、そこが違う。
反射的な群行動も、計画的な継続的な、組織犯罪も、偽装も、演技も、隠蔽も、捏造も、可能だ。
ヒトは、実際、そうしている。騙しとペテン、裏切りの、実績と歴史がある。
信頼と実績ではないところがミソ。
事故やハプニング、アクシデントであれば、一貫して、技術やエネルギーを高度化、肥大化させたりはしない。
計画的組織的な故意だ。
以上